ポスター制作:渡邊大樹
概要
小説家の山田詠美の1985年のデビュー小説。神奈川県の横須賀を舞台に、クラブ歌手の日本人女性キムと米軍基地を脱走した黒人兵スプーンとの恋愛/性愛関係を描いた小説。
このような舞台設定・人物設定を考えると、占領期以降の戦後日本における「アメリカの影」を描いた小説だとまずは言えるかもしれない。だが、本書の特徴は、視覚や触覚そして嗅覚など身体感覚のディティールの描写が際立っている点にある。言い換えれば、黒人男性と日本人女性の関係を、言語によるコミュニケーションとならんで身体的・生理的なコミュニケーションにも重点を置いて描いていた小説だと言えるだろう。こうした点をふまえ、本企画は以下のような関心のもと開催される。小説と映画という異なる二つのメディアにおいて、言語的/身体的コミュニケーションはどのように表象されているのだろうか。黒人男性と日本人女性との性的・人種にもとづく差異は言語的/身体的によってどのように差異化されて書かれているのか、あるいは、映し出されているのだろうか。こうした関心にもとづき本企画は、日本文学・日本映画における黒人表象がどのようになされてきたのか、ひいては異なる人種・民族間における言語的/身体的コミュニケーションのありかたなどをめぐって理解を深めることを目的として開催する。
◯スケジュール
3/4(金)13:00スタート 場所:神戸大学文学部視聴覚室B231
13:00- 企画趣旨説明
13:05- 映画上映(約2時間)
15:05- 休憩
15:20- ブルック・西橋 発表(各20分程度)
16:00- ディスカッション(40分程度)
-16:40 閉会
◯発表要旨
トーマス・ブルック(博士課程後期課程)
「新しい「在日作家」としての文学批評––––リービ英雄による『ベッドタイムアイズ』評をめぐって」
リービ英雄は、日本語作家としてのマニフェストのような性格を持つ初期エッセイ「日本語の勝利」(『中央公論』1990年1月)において、山田詠美の『ベッドタイムアイズ』(1985年)を大きく取り上げた。同エッセイにおいて、リービは脱走兵スプーンの「「日本化」された怒り」を問題視し、黒人としての彼自身の「文体」を与えられていない(それどころか彼本来の「文体」が「抹消」されているという)と批判的に捉えた。また、スプーンの描写をめぐって、「日本語における「表現する権利」の問題と関わっている」という見解を述べた。
本発表では、リービ英雄による『ベッドタイムアイズ』評を中心に、作家デビュー初期における同時代の日本文学作品に関する批評活動の位置付けと意義について考察する。その際、2006年に刊行された『ベッドタイムアイズ』の英訳を参照することにより、同作をあくまで日本語の問題として読んだリービの議論の相対化を試みたい。
西橋卓也(博士課程後期課程)
「映画『ベッドタイムタイズ』における黒人スプーンの表象について––––追加された諸要素をめぐって」(仮)
映画『ベッドタイムアイズ』(神代辰巳監督、1987年)において、黒人男性スプーンはいかに映し出されているのだろうか。日本人女性キムとの言語(英語)によるやりとりや性的交渉のシーンにおいてショット/切り返しショットが多用される一方、視点ショットによる映像はみられない。視点ショットによる登場人物への同一化という映画の常套手段を踏まえるなら、黒人男性スプーンへの同一化を促すことのないこうした視点ショットの不在は、本作において異なる人種の人物を映し出すこととどのように関連づけることができるのだろうか。映画版では原作小説には存在しないシーンや設定が追加されている。たとえば、物語序盤にキムの恋人として登場する日本人男性、また、『灰とダイヤモンド』(アンジェイ・ワイダ監督、1958年)におけるラストシーン—ポーランドの反体制ゲリラに属する青年マチェクが保安隊によって射殺されるシーン—のスプーンによる模倣、などである。これら追加された諸要素は映画のなかでいかなる役割を果たしているのだろうか。
本発表では、視点ショットの不在やこれらの追加された諸要素が、本作における黒人男性の表象に対してどのような意味を付与しているのかについて考察したい。
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